南国・南紀の管理人 浜紀(Hama-Nori)です。
 

 タイトルについては、嬉野のイメージに影響されて、最初は熊野合戦のイメージが強かったですが、広域のイメージを表すには南紀という言葉もあり、おやじバンドコンテストの言葉に合うということになって、「南紀おやじバンドコンテスト」という名前にすんなり決まりました。

 ちなみに、熊野に影響された案の写真が一つ残っていました。幻の案です。(写真一番上)

 これはこれで、いいかもという声も聞こえてきそうですね。


 そして、審査員。予算が少ないこのイベントに協力していただける方はいらっしゃるのだろうか。

 松本博さんは和歌山市の老舗ライブハウスのオーナーで、私の懇意にしている知り合いから紹介を受けました。バランスのとれた音楽の感性と自らプレーヤーとしての顔も持っているので、安心して任せられる方でした。そして、今や辛口評価で定評があり、テレビにも出演されている作詞家の及川眠子さんは、なんと和歌山市出身で、当時歌手の庄野真代さんと当地域をイメージした曲を地元在住の作曲家の方と一緒に制作されていました。及川さんは、当地域が東京から飛行機で1時間少しと便利なところであり、当コンテストにも関心を持っていただけたので地域のためご快諾いただきました。さらに和歌山のふるさとつながりで、及川さんより和歌山県有田市出身の大物音楽プロデーサーの酒井政利さんをご紹介してもらえました。ただ酒井先生は、山口百恵さんのプロデューサーだったというくらいの方だったので、もしかしてダメかなという思いもあったんです。しかし、なんと快く受けていただき、どんどん私の名前を使ってもらっていいとまで言っていただきました。ふるさと愛って素晴らしいなと感動したことを覚えています。

 そして、及川さんとタッグをくんでいた庄野真代さんは、第1回目のゲストということで、熊野地域の魅力発信のために制作された奇跡の森」「凪の時間」「誓い3曲を披露してくれることとなりました。それぞれの取組がこのコンテストの中で一つの形となりました。

 まだまだいろいろエピソードがあったと思いますが、忘れちゃっていることも多いのです。ただ、立ちあげだったので細かいことから大きなことまで全て作り上げていかないといけなかったので、担当としてはとにかくたいへんだった、という印象が残っています。でも、それゆえに思い入れも強いものがあり、今も応援しています。
 また、F会長も含めて、当時のスタッフからブログあげていただけるとよりおもしろいですね。期待・・・(^_-)(創生記・完)
 

おやじバンドポスター - コピー
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